にくてん・お好み焼きと神戸の街 – FARM TO FORK 2019 トークセッションレポートvol.2 –

2019119日(土)~10日(日)の2日間に渡り開催した、EAT LOCAL KOBE な文化祭 「FARM to FORK(食都神戸DAY)」で行ったトークセッションの内容をレポート!

2弾は、書籍「神戸とお好み焼き 比較都市論とまちづくりの視点から(のじぎく文庫)」の著者 三宅正弘さん(武庫川女子大学教授)と、神戸を代表するソースメーカー「オリバーソース」の道満龍彦さんから伺った、神戸独自のお好み焼き文化についてのお話です。

左から、小泉寛明(司会進行/一般社団法人KOBE FARMERS MARKET 代表)、三宅正弘さん(武庫川女子大学教授)、道満龍彦さん(オリバーソース株式会社)

─ 2019年のFARM TO FORKのテーマは「伝統食の継承」ということで、神戸の伝統食をリサーチしていていたところ三宅先生の著書を見つけ、ペラペラっとページをめくっていくとコアで面白い内容が書いてあり「これだ!」と感じました。さっそくですが三宅先生よろしくお願いします。

三宅)よろしくお願いします。武庫川女子大学の三宅と申します。今日のテーマは「お好み焼きと神戸の街」ですが、個人的に最も神戸らしい食べ物だと思うのが「お好み焼き」なんです。なぜ神戸でお好み焼きか、ということを今日はお話できたらと思っています。

神戸市は各区にソース会社のある街

三宅)なぜ神戸でお好み焼きなのか、その理由のひとつは、何と言ってもソース会社の多さです。実は、神戸市には各区にソース会社があるのをご存知でしょうか?中央区にはオリバーソース、灘区にはプリンセスソース、東灘区には日の出ソースとタカラソース、西区にはニッポンソース、長田区にはバラソース、兵庫区にはブラザーソース。全国的に有名なソース会社があり、日本一小さいんじゃないかというソース会社もあり、日本で最も古いソースのひとつと言われているソースもある。本当に多種多様なソース会社が神戸各地にあるんです。

三宅)ところで道満さん、オリバーソースさんの創業時の名称を教えていただいていいですか?

道満)オリバーソースの創業時(1923年)の名称は「道満調味料研究所」という名前です。

三宅)そう!ソース製造会社ではなく「研究所」だったんですよね。神戸の老舗ソース会社の多くは元々研究所で、今で言うベンチャービジネスだったんです。そして、神戸には各区にソース会社があり、地域の人は地域のソースを使っている。こんな街は全国的に見ても珍しいと思います。

道満)そうですね、オリバーソースの創業時は日本で洋食がまだ花開いていない時期だったので、「これからソースがくるんじゃないか?」というベンチャー精神で始まっています。また、各区の飲食店が地元で作られたソースを使っているのは身に染みて感じています。というのも、我々オリバーソースが新長田の古参のお好み焼き店さんへ営業に伺うと、門前払いされてしまいますから(笑) 

三宅)オリバーさんでさえ門前払いされてしまうほどなんですね!そこまで地域に地元のソースが根付いているのに、いま神戸をはじめ大阪でもお好み焼き屋さんが激減しています。兵庫県の統計では、2009年から2016年の間に約25%もお好み焼き屋さんが減っているようです。お好み焼き屋さんが減ってしまうのはとても悲しいのですが、お好み焼き文化そのものが無くなってしまうことはないと、個人的には思っています。

簡単に手に入るものを、おいしく食べるための知恵

三宅)神戸の多くの家庭にあると言われているこのマイ鉄板に、私が「お好み焼きこそ神戸らしい食べ物じゃないか」と思うふたつめの理由があります。FARM TO FORKは神戸の農漁業にフォーカスしたイベントですが、工業も神戸で忘れてはいけない産業のひとつです。このマイ鉄板は、神戸に住む私の叔母が近所の鉄工所の方に頼んで作ってもらったもので、今日は借りてきました。

実は、お好み焼きは工業に携わる人たちと共に育まれてきた背景があります。だから、工業地帯にはお好み焼き屋さんが多い。全国のいわゆるご当地グルメも、地域の産業に携わる人たちの暮らしの中で育まれてきた物が多いのも同じ理由です。

道満)そうですね、そばめしも工業がルーツだと言われています。神戸のそばめし発祥のお店で伺った話では、工場の多かった地元(長田)のお客さんから「弁当の白飯で何か作ってくれ」と頼まれたのが、そばめし誕生のきっかけだったそうです。

三宅)なるほど!やはり「他所から伝わってきた料理ではなく、市民の暮らしから生まれてきた」という点からも、お好み焼き・そばめしは神戸らしい食べ物だと言えますね。

お好み焼きの具にも地域性は色濃く反映されていて、「タコ」は神戸でしかお好み焼きに入れない具材です。特に長田・兵庫エリアの好み焼き屋さんでは、その日獲れたタコが生のまま入っています。なぜ神戸でお好み焼きにタコを入れるようになったかと言うと、新鮮なタコが市場で安く手に入ったからなんですね。現在はタコが高騰しているので、お店も大変かもしれませんが。

道満)高騰という話でいうと、ソースメーカーはキャベツが高騰してしまうと大変です。家庭でお好み焼きを作る機会が減ってしまって、ソースが売れにくくなるので。

三宅)お好み焼きを「その場所で簡単に手に入るものを、おいしく食べるための知恵」と考えると、お好み焼きの材料はもっと自由になってもいいかもしれませんね。キャベツが高騰すれば、別の材料を使うといった感じで。

道満)そうですね、神戸のお好み焼きは神戸の食文化の縮図みたいなもので、海・山で獲れたものをごちゃ混ぜにしておいしく食べる物ですから、材料が違ってもお好み焼きと言えますよね。

神戸では、お好み焼きを「にくてん」と呼んでいた

三宅)お好み焼きはもともと全国的に「洋食」と呼ばれていたのをご存知ですか?理由は、使っているソースが洋風だったからで、「洋風焼き」とも言われていました。しかし、神戸ではお好み焼きを「にくてん」という独自の名前で呼んでいたんです。でも、「にくてん」と呼ばれはじめた理由はまだ謎のまま。神戸のお好み焼きには明らかになってない事実が、まだまだ眠っているんです。

謎と言うと、各区にソース会社があり、独自の名前もあって、こんなにオリジナリティがあるのに、なぜ「お好み焼き=神戸」というイメージが定着していないのかも謎ですよね。たぶん神戸には発信すべきことが多いので、ずっと隠していたのかな?と思うのですが、そろそろ「お好み焼き」の出番ではないでしょうか。

かつて、お好み焼き屋はサードプレイスだった

三宅)神戸の街を歩いていて思うのですが、神戸って本当にお好み焼き屋さんが多いです。平成初期がピークだったようですが、その頃は和田岬エリアでは本当に角を曲がればある感じで、パリのカフェ・イギリスのパブ・イタリアのバールのように地域の人たちの井戸端会議場というか、お好み焼き屋さんはコミュニティーの店という側面もあったと思います。

道満)そうですね、近所の人が集まる場所という役割があったと思います。店内のデザインもそうなっていて、お客さんが鉄板を囲んで、その向かいにお店の人がいて世間話をしながらお好み焼きを楽しんでいたはずです。

三宅)いまで言う「サードプレイス」ですね。家・会社に次ぐもうひとつの居場所だった。そう考えると、お好み焼きはまちづくりの話につながってくるんです。

多文化交流はお好み焼きを囲んで

三宅先生はイベントでお好み焼きを振舞う際に「にくてん」という屋号を使用している

三宅)私は旅先でお好み焼きを振舞うのが好きなのですが、お好み焼きはどこの国に行っても受け入れられるんです。いろんな国で「お好み焼きをしてみないか?」と声をかけられます。ソースをお土産で持って行くとめちゃくちゃ喜ばれますし、お好み焼きを作る時のライブ感を外国の人は楽しんでくれるんです。

来日する外国の方が求めているのは、観光地やレストランだけじゃないと思います。日本人の家庭にも行ってみたいはずだと思うんです。でも、実際に家庭で外国人を迎えるとなると気を使うと思うのですが、お好み焼きなら手軽に作れますよね。そういった点からも、お好み焼きは多文化交流に向いてると思うんです。また、お好み焼きはハラルやヴィーガン対応も手軽なので、お好み焼きの未来は海外交流にヒントがあるんじゃないかと考えています。

─ ありがとうございます。夢の広がる話ですね。食べ物の話はグルメ志向になりがちですが、「その場にある物を使って、ライブ感を楽しんで、外国人とのコミュニケーションをとりながら作れる」という点に、改めてお好み焼きの可能性を感じました。こういったお好み焼きの可能性が、草の根的に各地で開拓されていくとおもしろくなりそうですね。本日はありがとうございました。

Text & Photo / Norinao Kento